フォルム。

  • 2019.09.25

息子を連れて何度か海に行ったことがある。

しかしそれは全て彼が赤子の頃のことで、彼の記憶の中で「海」は見たことのない景色になっている。

先日、夫の単身赴任先である岩手県久慈市へ出かけた。

「かか!うみにいきたいの!」目を輝かせて息子はわたしに言う。

薄曇りの海で息子は波を追いかけ、貝殻を集め、靴に砂が入るのを嫌がり、足元をビショビショにしながら「たのしい!」と笑っていた。

後日、息子を寝かしつけているときに彼はわたしの白髪まじりの髪の毛を撫でてこう言った。

「かかの髪の毛、こないだ見た海とおんなじだねー。」

「これが波で、これは砂浜でー」

そう言ってわたしの白髪と、白髪になりそうな色素が抜けた茶色の髪の毛を分けていく。


言われてみれば、あの日の海はグレーの色だったかもしれない。

あの日見た久慈の景色は息子に〝わたしの髪が海に見える〟という作用をもたらした。

これから先、わたしも彼も白髪を見るたびに波の音が脳内で再生されるかもしれない。

お風呂の中で、鏡に映った身体を見る。

暮らしがわたしを形作ってきたのだと、肉体の素直さに驚いてしまった。

わたしのフォルム。

美しい造形ではないけれども、わたしは自分のフォルムが好きだ。

いや。フォルムが好きなのではなく、フォルムという名の積み重なった暮らしをわたしは愛している。

生き物はみな、そうして形作られているのだと気がついたら世界がより尊いものに見えてきた。

波が砂浜をさらうように、水が石の形を変えていくように。

わたしのフォルムは日々という波によって少しづつ変容していく。

溶け合ったり、ちぎれたり。冷たくなったり、熱くなったり。柔らかくなったり、硬くなったり。

生きている限り止まることがないこの変化を、わたしはより一層楽しんでいこうと思う。


どんなフォルムも愛せる生き方を選んでいけばいいのだ。

些細なことでも、体感したことは必ず自分のなかに作用している。

不恰好な肉体で動かす身体では、みっともないフォームしか作れないかもしれない。

投げたボールは、美しい放物線を描かないかもしれない。

それでも、その動作はきっとわたしに新たな変化をもたらしてくれると確信している。