トランスフォーム。
- 2019.12.26
「全人類抱きしめたいから、わたしは地球になりたい。」
この一年、そう呟くことが多かった気がする。
写真展「form」を終えて数日が経った。
自分の日記というか日々というか。今回の展示はわたしの視線の先と、そのときの私を体感してもらうことを目的としていた。
哲学とか表現とか、そういう格好の良いものではなくて「私のことを知って欲しい。」この一言に尽きる展示だったと思う。
展示会場で旗めく作品を眺めていたら「わたしは未来の景色を撮っているのかもしれない。」と、ふと思った。
曇り空の海を見たら、わたしの白髪を思い出すかもしれない。
季節外れのバラを見たら、自転車を立ち漕ぎするわたしを思い出すかもしれない。
桜並木の中で桜吹雪に出会ったら、パーカーを着て涙ぐんでるわたしを思い出すかもしれない。
もしもわたしが死んでしまったとしたら、今回展示した15点の作品に似た景色に出会うたびに
私のことを思い出すかもしれない。
そう思ったら、この写真たちが死後の自分の姿のように見えてきた。
花に、海に、光景に。世界に溶けた自分を見たような気がした。
このまま世界を写した続けたら、いつか私は本当に地球になれるのではないだろうか。
そのとき、全人類を抱きしめられるかどうかはこれからの生き方次第なんだろう。
日々の暮らしの中で思うことは「知らないわたしには戻れない」ということだ。
毎日、知ってしまったわたしを重ねていく。
なにより、知らない世界を知りたいと願う自分がいる。
その日見たもの、口にしたもの、耳にしたこと。
体感したこと・思考したことは必ず自分の中に作用している。
日記を書き始めた頃、こんな言葉が綴ってあった。
「誤解をされることが一番悲しい。だから、わたしはわたしを誤解しないために嘘をつかずに日記を書く。それを、自分に約束する。」
わたしは書くことと撮ること、記録を残すことで何度も救われてきた。
そして記録を残すということに即効性はなく、時間が経って忘れた頃に自分を救いにやってくるということを知った。
いま何気なく残している記録も、いつか自分を救いに来てくれることをわたしは知っている。
光があって、色があって、音があって、香りがあって、感触があって、よかった。
心を揺らすことにめげずに日々を書き留めてきた自分がいてよかった。
関わってくれる、あなたがいてよかった。
会場に佇んでそんなことを思っていたら、日記を書き始めた13歳の自分が誇らしく笑ったような気がした。
そしてその感覚はきっと、わたしをその先のわたしへと背中を押してくれるのだろう。