地球空洞説。
- 2016.2.8
息子の後ろ姿を見ているとなぜだか涙が出てくることがある。
愛おしいからなのか、この小さい背中は成長すると共に消えていってしまうという切なさからなのか。
確かにそれもあるのだろうけど、何かちがう。
わたしの暮らしの中で〝子育て〟というものが始まって、早いもので一年が経った。
息子が生まれてから気付いたことがある。
わたしの中には大人になりきれなかったこどものままの小さいわたしが居て、息子の小さな背中はわたしの中のその小さいわたしと重なって見えることがあるということ。
そして、どこかでずっと追い求めていた「おかあさん」は私自身だったということ。
息子を抱きしめるたびに、小さなわたしも喜ぶ。
「あいしているよ」と囁くたびに、小さなわたしも微笑む。
息子を愛することは、大人になれなかった小さな自分を愛することを教えてくれた。
時折感じる彼の小さな成長は、世界がぐるりとひっくり返ったような感動を教えてくれる。
まるで地球空洞説のようだ。
ゴムボールのようなわたしは、自分の肉体を境界にして外にいる息子と、内にいる幼い自分の二人の〝こども〟を育てている。
もしかしたら、わたしが生きているこの世界は胎内なのかもしれない。
そして目の前に現れた小さな赤子は世界を包む宇宙なのかもしれない。
地球空洞説に登場する理想郷〝シャンバラ〟は、目の前に広がるなんでもない日常。すなわち自分が生きている世界そのものなのではないかと、家族が寝静まった夜にコーヒーを飲みながら想像を巡らせている。
一年前の今日、わたしは母になった。
いろんなことを教えてくれてありがとう。
あの日から、わたしもあなたも確かに育っている。
改めて、全ての事象に感謝と愛を伝えたい。
そんな夜。