大きな声で返事をするから。

  • 2021.04.03

5月から通い始めた幼稚園の最終登園日を終えて、息子が持ち帰ってきた制作物などの確認と整理がすっかり後回しになっていた。

夫と息子が寝静まった夜、その整理をしようかなと思い立ち制作物が綴じられたファイルを開いた。

持ち帰ってきた手提げ袋の中には、お絵描きや工作がファイリングされた〝さくひんファイル〟と〝おしごとファイル〟と書かれたファイルがあった。

〝おしごとファイル〟の中にはひらがなや数字の練習。点つなぎや簡単な計算問題が時系列に綴じられている。卒園が近づいた3月は絵日記が課題だったようだ。

公園で遊んだことや、将来の夢、欲しいものや自分の特徴。各回にテーマがあるのかはわからないけど、そこには拙い文字で書かれた息子の言葉と絵があった。

「ぼくはこわがりです」そう書かれた文章に〝こわーい〟というセリフを言って震える人の絵(おそらく自画像)と、〝いるよー〟というセリフが添えてあった。

それを目にした瞬間なぜか涙がこぼれてしまった。
自分でもどうして泣いているのかわからない。

ここ数ヶ月、息子はいままでに増して怖がりになっていた。

「誰かがいる気がする…」「いま音しなかった?」「ねえお願いだからドアの前で待ってて。」「わからないけど、なんかこわいの!」そう言っては、目に見えない何かに怖がって震えたりしていた。

「ねえ、こわい!!」そう言われるたび、わたしと夫は二人して「いるよ〜。大丈夫だよ〜」と返事をしていた。

涙がこぼれたのは 息子の視点で語られたこの事象を初めて目にしたからなのかもしれない。
そして、ほんの少し息子の持つ孤独に触れたような気がしたからなのかもしれない。

いまから3年ほど前。突然息子から「あいしてるよ」と言われた。
これはわたしが朝起きた時や、夜眠る時にそうやって息子に声を掛けていたからだと思うのだけど。突然のことに驚いて「愛してるって、意味わかるの?」と聞いたら、息子は間髪入れずに
「だいすきよりも、つよいの!」と、答えた。

わたしはそのときに、彼の感受性に触れて強い衝撃を受けた。
彼の核に触れたような、原始に触れたような感覚があった。
それは、これから幾重にも重なって隠れてしまうような層の始まりを目撃した瞬間だった。
そして〝こわーい〟〝いるよー〟の挿絵と「ぼくはこわがりです」と書かれた本文を見て、
「あいしてるは、だいすきよりもつよい!」と、言い切ったあの日の彼と、その衝撃を思い出したのだった。

これから息子の感受性はきっとどんどん豊かになっていく。
言語を覚え、表現に触れ、それを超える気持ちとも向き合っていく。

もしかしたらもう、既にそのことに向き合っていて、得体の知れない大きな孤独と対峙しているのかもしれない。

そして、わたしは息子の対峙するその孤独を完全に理解することはできない。

わたしが自分の孤独と対峙しているように、あなたの孤独には、あなたしか向き合えない。

どうか、その孤独の中から自分だけの「ことば」や「表現」を見つけて欲しい。
「ぼくはこわがりです」と、そのことが見つかったように、その孤独は必ずあなたの形や温度を教えてくれるから。

そして、どうか覚えていて欲しい。
何歳になっても、どこへ行っても、どこに居ても。
〝こわーい〟と言ったときには必ず、わたしたちが〝いるよー〟と大きな声で返事をすることを。