第三次性徴期。
- 2016.12.31
2015年の冬、わたしは「母」になった。
出産はわたしの中で初潮がきたとき以来の大きな抗いようのない身体の変化だったと思う。
わけもわからない中で過ごした去年。
そこから、じわりじわりと自分の中で二度目の思春期が来ていることに気付き始めた。
幸せなはずなのに、なぜか感じる圧倒的な孤独。
〝いい母〟〝いい妻〟でありたいと思う理想と、実際はそうなれない(なりたくないと思ってしまう)現実。
「妻」「母」「女」「わたし」。
どれも「わたし」のはずなのに、どれも自分でもはない気がしてしまう。
そう。
わたしはいま、わたしのことがわからない。
10年前の日記にこう記してあった。
〝ふれることは肯定することだと思う。
あの人の心にふれたい。
けれどその前にわたしは、わたしの心にふれたい〟
わたしはわたしを確かめたい。
だから。
自分の形を、温度を、強度を。
それらを確認するように写真を撮る。
真っ暗闇の中で ぶつかる。ぶつける。
自分のどこが温かくて、冷たいのか。
どこが強くて、弱いのか。
どこが柔らかくて、硬いのか。
わたしはわたしの輪郭を確かめる。
些細なことで傷つき、わがままに人を傷つけた。
今年はそんな一年だった。
悔やむことばかりで情けなくてふがいない、
格好悪くてみっともない自分をたくさん見た。
それでも、そんな自分を噛み締めて日々生きるしかないのだ。
この孤独こそが、わたしが家族や友人に囲まれている証しだ。
わたしは今日も明日も自分へ手紙を書くように日記を記し、写真を撮る。
この記録がいつかの自分や、かつての自分を救ってくれるかもしれないと信じて。