魔法って言っていいかな。
- 2022.02.08
息子が、ちいさくて柔らかい膨らみとなって目の前に現れてから7年が経った。
いまはもう目を瞑っても浮かぶ顔だけど、産前はどんな顔をした人なんだろうと気になって仕方がなかった。
顔や形が不確かな存在に名前をつけたのも初めてだったかもしれない。
7歳は少年の始まりだなと思う。幼児ではなくなり少年になる。彼はどんな人になっていくんだろう。
楽しみであると共に、これから少しずつ消滅していくであろうあどけなさを見つけては少し淋しい気持ちにもなる。
息子はいま、糸の塊に名前を付けて猫として可愛がっている。
柔らかい膨らみに名前をつけた途端、はちゃめちゃに愛しく思えるあの感情は一体どこからやってくるのだろうか。
エコー写真を眺めながら・膨らんでいくお腹を撫でながら。名前を呼んで、写真やお腹を撫でていたあの頃を思い出して
息子の抱く猫(糸)を一緒に撫でて、息子の覚えていない彼自身の話をする。
知らない話を嬉しそうに聞く息子を見ると、それぞれの真実はあれど事実を残しておくことは良いなと思う。
「ぼくは何時にどれくらいの大きさで生まれたの?」
そう聞かれたので、生まれた時の身長と体重と時間を教えると
「数字を覚えてるって、愛〜!」と言われた。
いままで思ったことはなかったけど、確かに細かい数字を覚えてるって愛なのかもしれない。
写真を撮り、日記を残していてよかった。
嬉しそうな顔して撮ってるんだろうなと、正直な写真たちを前にして顔がほころぶ。
自分を取り繕ったりせず、何に対しても素直で正直な人になりたい。
息子や夫と日々接していると、切実にそう思う。
この街で暮らして初めて迎えた2年前のこの日。
「肉じゃが食べたい。家に帰りたい。納豆ごはん食べたい。」
そう言って泣きじゃくられて、わたしまで泣いてしまった。
「せっかくの誕生日なのに…」去年も喧嘩をしてしまって、そう思う時間があった。
今年迎えた今日のこの日。
肉じゃがはいつでも作れるようになったし、納豆を作ることにも成功して、いつでも納豆を食べれるようになった。
「東京の家に帰りたい。」と、泣かれる日はほとんどなくなって、美味しいドーナツを食べれるお店も見つけた。
できることが増えたんだな。と、素直にそう思う。
ゆっくりだけど着実に。暮らしに余裕ができて、そのゆとりの中で少しずつ緊張がほぐれてきている。
〝おおげさなことは何もできないけど、君を笑顔にする魔法はいくつか持ってるんだ〟
リビングで流していたWOWOWの番組で、平井堅がそう歌っている。
暮らしを共にし、日々を重ねていく。
新しい土地で一緒に拡げた心の余裕は、わたしたちをそれぞれの魔法使いにさせた。
当たり前のことほど難しく、それを重ねていくことは魔法のようなことだと思う。
息子が7歳を迎えた今日。過去を振り返って、あの頃から解けない魔法にかかっていることに気付き
ずっと見えない力に守られていたんだと、じわじわと温かい何かが身体の底の方から溢れてきている。
不確かな存在や気持ちに名前をつける。
それはきっと、魔法と呼んでいいことなんだ。