はじまり

  • 2022.04.12

息子の学校への登校が再開してから一週間が過ぎた。
先週は午前中で終了していたけど、今週からは6時間授業。お弁当を作る毎日が始まった。
昨年はお弁当を作ることに戦々恐々としていたけど、今年はとてもおおらかな気分で「どんとこーい!」と、マワシをパーンと叩くような気持ちでいられる。
怖かったことが怖くなくなることはとても嬉しい。この調子で苦手な早起きにも慣れたい。
新生活も慣れたらきっと楽しくなるし、楽しくなることを見つけていくんだと思う。
そうやっていろんなことを大丈夫だと思うようになれた一年だった。

オンライン授業は約一年続いた。

いまとなっては何が大変だったのか覚えてないけど、開始当初はそれなりに大変だったような気もする。
ロックダウンしている閉塞感もあっただろうな。
大変さというものは人それぞれで、仕事の有無や暮らす場所、環境などに左右されるものではないのだ。
そのことを身を以て知った一年だった。
人の苦労や痛みを自分のものさしで測ろうとしちゃいけないなと思ったし、かつてのわたしはきっと沢山の人を傷付けてきただろうなと反省もした。
痛いものは痛いし、しんどいことはしんどい。
そのことに大小なんてないのだ。

これからゆっくり、自分にも・他人にも優しい人になりたい。

息子が学校に通うようになって気が楽になるかと思ったら、ひたすら淋しいだけだった。
彼に頼られ手助けしていることに、私自身が助けられていたのだ。
春休み中に撮った写真は巻き上げがうまくいっていなくて、一枚に春休みに撮った36枚分の景色が重なっていた。失敗したはずなのに、春の思い出が凝縮されたこの一枚を見てカメラからご褒美をもらったような気持ちになって嬉しくなっている。

息子の隣で撮影した景色たちを探しながら、楽しい時間をありがとう。と、写真の背中に呟く。
過ぎた時間がこんなに美しくなるのは一体どうしてなんだろう。