ケアラー
- 2023.05.07
飛行機の機内から外に目をやると、雲の隙間から月が見える。
地上で眺めるよりも月が近い。だけど遠いのは相変わらずで、なんだか不思議な気持ちになる。
同じ目線になったところで遠く離れている距離は近づかないものなんだなと、フゥと一息つく。
耳元からは中島みゆきの「銀の龍の背に乗って」が流れている。
眠れずに3本の映画を観たのだけど、その中のひとつの映画のエンドロールだ。
〝急げ悲しみ 翼に変われ、急げ傷跡 羅針盤になれ〟
この歌を聴くたびに、この歌詞で涙が零れそうになる。
果たして、わたしの悲しみは翼に変わって、傷跡は羅針盤になるのだろうか。
9日間、一人で日本へ帰国した。
一人で国際線に乗るのは12年ぶり。息子と一泊以上離れるのは4年半ぶりという、気がつけばとても久しぶりの一人時間となった。
今回日本へ帰るきっかけになったのは、挙式撮影の依頼があったから。
まずは、ハレの日の記録撮影にわたしのことを思い出してくれたこと。そしてそれを言葉にして伝えてくれたことに心から感謝したい。かつて付き合いたての頃に写真を撮りに来てくれた二人はすっかり夫婦になっていて、その姿を眺めるだけで涙が出てきてしまった。幸せになってね、なんて声を掛ける隙もないくらいに二人は幸せそうだった。
今回の帰国に際して他にも数件の出張撮影を承ったけど、誰かのための写真を撮れることがこんなにも嬉しくて楽しいことだとは思ってもいなかった。彼らがくれたのは依頼だけでなく、わたしが見失いかけていた自尊心でもある。
依頼人の顔や、そこで見た光景。今回の帰国で会った友人・知人の顔を思い浮かべて濃密だった時間を思い返す。ふと、人が大切にしているものに随分と鈍かったんじゃないかと過去の自分を振り返って反省をした。言い換えれば、この4年で人の大切にしているものを尊重したいと心がけるようになったんだとも思う。実践できているかどうかはわからないけど、引き続き人の大切にしていることやものに、そっと気がつけるよう心がけたい。いつかそんな心がけを忘れてしまうくらい、当たり前のこととして身に付いてほしいと願っている。そしてそれがわたしのまなざしとなって、おまもりのような写真や気持ちを誰かに手渡せたらいい。
思い続けることは、そのこと自体がお守りになる。永遠の片想いを手に入れることは、とても幸せなことだ。
〝ずっと始まらないがつづく。それだけでいいかもしれない〟
去年の日記を読み返したら、こんな一言が綴ってあった。
今回の帰国でまさにその答え合わせのような一言をもらって、一人で「人生!」と、感動した。
〝それだけでいいかもしれない〟ではなかった。それだけでいい。それで、よかった。
抱いた疑問や願望の答えは、生活の至るところに用意されているのだと思う。
頼って欲しいとか、一人で頑張りすぎないで欲しいとか。大切な人に対して思うことは色々あるけれども、つまるところそれは〝わたしはあなたに好かれていたい〟というエゴかもしれない。
あなたを弱い存在として扱いわけでは決してない。それをわかっていても、言葉にせずにはいられない時がある。
間違いだとわかっていても選ばずにはいられないことも、非力を嘆いても仕方ないのに嘆いてしまうことも、わかっていてもそうせずにはいられないことがあって、そういうことの中に大切なものがあるような気もしている。
こんこんと湧き出るものがあって、それを注ぎたい人がいて、それを注ぎ続けたいことがある。
ずっと注ぎ続けられるように・枯渇しないように、泉のようなものを持ち続けること。そして、そういう泉をより美しく保つことだけが自分にできる唯一の祈りのような気もする。
「大好き!」と真っ直ぐに言わせてくれる人も、その言葉を素直に言える自分も、そっと想い続けさせてくれる人も、みんなのことが大好きだ。
〝銀の龍の背に乗って〟というよりも、わたしはその銀の龍が心身を休めにくるような泉を自分の中に抱えていたい。
昔、撮影した写真を納品したときに「どうして何も伝えてないのに、わたしの大切にしているものがわかったんですか?」と訊かれたことがある。
「それは、あなたがそれを大切にしているからですよ。」そう思ったからそう伝えたけど、まっすぐそう言えたあの頃の自分を思い出して少し眩しく思った。
大きな螺旋を頭の中に思い描く。
あの頃と同じゾーンの、ひとつ高い階層から。いつかまた、同じ言葉がまっすぐ言えるようになれたらいい。
こんなに長く一人で過ごしたのは久しぶりで、忘れていた何かを色々と思い出した9日間だった。
愛のある人になりたい。そしてなにより、この世界に飛び交う様々な愛を感知できる人になりたい。