ドーナツの穴

  • 2021.12.16

夫がクリスマスまでリモートワークに切り替わった。
リモート会議で活き活きと仕事をしている夫を見ていると、ものすごい嫉妬に駆られてしまう自分がいる。
「隣に居るこの人は、この地でキャリアを重ねているんだなぁ。」
家庭以外に居場所がある夫と息子を、時折ものすごく羨ましく思う。
もちろん彼らにだって苦労があることはわかっている。わかっているんだけども。

これじゃダメだなと思って、今日は以前よく乗っていたバスの逆方向へと乗り込んでみた。
行ったことのないその先へと進むバス。
こっち側はこんな景色なんだなと、終点までのたった5駅の中でみるみる変わっていく景色を見つめながら心を躍らせる。
等しく与えられた時間の中で、わたしには彼らにはない自由で柔らかい時間があるはずなのだ。
それはとても贅沢なことだし、それぞれの時間にそれぞれの尊さがあることを思う。

高い建物たちが遠くなって空が広くなる。線路を久しぶりに見て嬉しくなって、突如現れた大きな水溜りのような溜池に目を奪われる。
あと数年したら、このあたりも整地されて高い建物が増えるのかもしれない。
帰路の車窓から見える建設中の景色を見ながら、移り変わっていく当たり前の景色について考える。

帰宅してすぐ、息子が大切にしているものたちを写真に撮った。来年には忘れ去られてしまうものたちかもしれない。
大切な人の大切にしているものを、できるだけ美しく残してあげたいと思う気持ちは“愛”と呼んでいいと思う。

ドーナツの穴はドーナツの生地があることで存在している。
わたしの不安もきっとドーナツの穴と同じだ。
そしてそれは隣に存在すものあっての存在で、言い換えれば孤独ではないということなのかもしれない。
〝ドーナツの穴も、ドーナツみたいに美味しく食べてもらいたいのかもしれない。〟
そんなことを思って、おやつにとっておいたドーナツの穴をフォークで刺して食べてみた。
味はしなかったけど、少し心が軽くなったような気がしている。